人間関係に関する日記
卒業式など節目のイベントでは毎回、今までの自分の人間関係についての結果?を垣間見ることになる気がする。
特に今年はコロナウイルスの影響で自主的に集まろうとしなければ、もうそれっきり会うことがない関係性なんていくらでもありそうだ。
なんとなく惰性で付き合ってきた人達とは、もうこの節目を期に会うことはないだろう。自分から会おうとしないし、相手も会おうと思っていないということなので。
僕はありがたいことに2つのコミュニティの人間と集まることになったが、
大学生活の大半の時間を費やしたサークルでは、集まろうという声すら上がらなかった。変なサークルだった。
サークルについて振り返ってみると、
4年前にその変なサークルに入ることを決めたのは自分だし、そのサークルを続けるという選択をしたのも自分だから不思議なもので。
なんで変なサークルに惹かれたのかと言えば、最初は只々勧誘され、見かけ上の楽しそうなイメージに引きづられていたからで、
気づけば多くの時間を費やしていた。
なんで辞めなかったかというと、多くの時間を費やした結果、その他の人間関係が希薄になっていたから、やめる勇気が湧かなかった。
のと、変な環境ですら慕ってくれる後輩や面倒見のいい先輩がいたから、
あと、他にやりたいことが無かったからである。
そもそも大学で何をしたいか、という大きな目標がなかった。
楽しい大学生活に憧れていたけど、
そもそも、楽しい大学生活とは何か、も分かっていなかった。
だから、辞めたところで大して変わらなかったとも思う。
結局変なサークルが悪いのではなくて、何が僕にとっての「楽しい・好き」なのかを自覚していなかったのがいけないなと思う。
やっている内容が何かは別として、楽しい・好きを少しでも共有出来ていた人間関係は、非常に良好だった。
今後は反省して、意識的に良好で気持ちいい人間関係を作らなくてはいけない、
と深く後悔している。
大人なら尚更で、何をしたいのかを明確にしていないと
自分の置かれているつらい環境から脱出することすらできなくなると思うから日々心がけることを決めたい。
この前に読んだ本の、転職の思考法の受け売りだが、
「自分の好きなこと、苦にならない事をラベルにしていく、ラベルはいくつあってもいい→
そのラベルが強固になるかという判断軸で仕事、環境を選ぶ」
というような感じで、
好きなこと、好きかもしれない事を自覚して突き詰め、
他の人と共有して、
良好な人間関係を作り、
もし関係が悪くなっても、
好きなことを判断軸にして環境を大きく変える行動を、
起こせるようにならなければなと思った。